地方の細やかな祭りの行く末

Diary

東湖八坂神社の例大祭に行って参りました。

この辺り出身のフォロワーさんに案内してもらいながら歩きつつ、話に聞く限り廃れ行く過程の町に淋しい思いを募らせるばかりでありました。

人々の営みがなくなれば、そこに棲まう神々も風の前の塵と同じです。

※この記事は主観的な批判があります。
※町の表面しか攫っていないし、一人の友人との会話の中で思っただけなので悪しからず。

前回の記事

こちらの記事の続きです。
まだお読みで無い方は、こちらからどうぞ。
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秋田の東湖八坂神社のお祭り|笹路かいと
東湖八坂神社の例大祭に行って参りました。 JR東日本 男鹿線 天王駅から徒歩5分の場所にあり、比較的に電車でも行きやすいところにありました。 午前中は土砂降りで、午後は霧雨程度の雨が降っていたのであまり人も多くなく、駐車場は空いておりました...

凋落する町

午前中は生憎の土砂降りで、午後は霧雨程度の雨が降っていたのであまり人も多くなく、駐車場は空いておりました。

駅前の商店は友人が幼い頃に潰れた建物があるばかりで、町を歩いても一店舗も商店がありません。カフェもコンビニも駄菓子屋も八百屋も肉屋も魚屋もスーパーすら無く、小学校も中学校も潰れるそうで、町の機能が皆無でありました。

町という体裁をもう放棄しているように思えます。

隣町というか、物流の分岐地点であるべき地理にある大型スーパーが町の機能の全てを担っているようでした。
老人や子供に全く優しくありません。
大型スーパーの先には姥捨山の如く老人ホームしかない町が広がっていました。

この町の政治屋は寝てるようです。

五城目の警察官に職質されて免許証を見せた時に、「神奈川の方なんだ。ここ住んで子供作ってよ。もうここヤバいんだよね。」って言われました。
そう言うとこですよ。
セクハラ警官さん。

この町は、まぁ、近いうちに無くなりますね。

絶対にこの町には定住しないと固く決意をし、吹き流しと戯れる霧雨に濡れながら神社へ歩いて参りました。

神社の屋台

祭りといえば、屋台。
屋台なくして、お祭りはありません。

皆さんは、お祭りの屋台でよく何を食べますか?

小学生の時代は目黒の祭りに行っていました。
そこでよく食べたのは、じゃがバターと焼きそばとおでんとかき氷だったと思います。親がモツ煮好きなのでそれも食べてましたね。
亀掬いとか、金魚掬いとか、鰻釣り、射的、輪投げとか懐かしいです。
瓶のラムネもよく飲んでました。
絶対買うのは、唐辛子屋さんの七味を一年分でしたねぇ。

最近見ないものも多くなってきて、寂しく思います。

別の地域のお祭りに行くとその地域の特徴とか郷土のものを食べられるので楽しみであります。

食べ物系

今回の屋台では、クレープとフライドポテトとたこ焼きを食べました。

たこ焼きは600円で何故か一船七個入りでした。
ブルドックソースが掛かっており、大量の紅生姜が入っていてとても辛くて………。
大阪のたこ焼きと全然違う。
美味しくはないです。

クレープは、500円で甘ったるい生クリームが生地に巻かれ、苺ソースが底と頭にちょびっと掛かっただけの粗末なものでした。
美味しくもないです。
バナナが足りなくなって、チョコバナナ屋から貰っていました。
バナナ以外のフルーツは無さそうです。
(友人の記憶によると、コロナ前のクレープにはちゃんと果物が入っていたそうです。)

400円のフライドポテトはとても塩辛かったです。塩辛いというか塩の結晶をポテトの周りに作っているようで、痛いレベルで…。
(モスバーガーのポテトも厚化粧だった)

友人は、500円のレモネードのコーラ割を追加で頼んでいました。
まあ、不味い訳もなくいつものあの味です。
唯一安心できる味でした。

最近は、700円から1500円の串焼きのお店も500円の10円パンもどこに行っても見かけますね。
この町特有のものは全てが塩っ辛いことでした。
秋田にいると高血圧になりそう。

遊戯系

射的の下段に列は全てコモンの古いポケモンカード(BW)一枚に錘で駄菓子とかではなかったです………。
籤屋も………。
ピンポンも………。
当たらないと分かっていても、任天堂のゲーム機とかPSとかの箱が飾ってあるもんではなかったでしたっけ?

そんなこんなで、辺りの出店を見学していると小さい子が犬の風船を曳いる姿が目に止まりました。
本物の犬の如くお散歩する姿は愛らしいですよ。

(子供はいつどこで見ても可愛らしい。)

自分もそんな時期あったなと思い返してみると、もっとちゃんと犬の形してたような?足に車輪が付いていたような?気がして、台座に車輪の付いたテロンテロンの間抜けな犬ではなかったなと懐かしく思いました。
あれ、失くしたり、萎んだりすると悲しくてめっちゃ泣いた気がします。

今風だなと思うのは、もう確実に旬の過ぎたスイカゲームの屋台が二つあったことです。

会場の印象

分別や回収用のごみ箱はなく、ロープで囲った土の地べたに放る仕様でした。
友人曰く、このゴミは境内にある小学校の生徒が後日片付けるそうです。
実に不衛生なものを子供に処理させるんだなと感心してしまいました。
(ゴミ処理くらい半袖半ズボンの子供じゃなく大人がやりなよ。)

屋台のことを地元の知人に聞くと全体的にねだんが上がっていて、コロナ前にあったものが無くなっているそうです。

非常に残念。

お祭りの風景(写真)

まとめ

この行事は無形文化遺産らしいですけど、友人の話を聞く限り、この先どんどん人口が減っていくばかりな様子で、信仰する人が町に居なくなれば虚しいものです。

営みの中にある形を留めることの出来ない文化が、今も何処かで一つずつ消えているのでしょう。

夢野ほしの実家の限界集落に行った時の無力感とはまた違います。
あれはもう朽ちていく神社や還ってしまった道、国破山河在の手前みたいな、花は根に鳥は古巣にみたいな、そんな感じで悠久の中の一過に侘しく思うものでした。

翻って、これは腹立たしい。
人間の物語の中の終わりと共に彼らも死んで逝く。
人がこれ程居るのに、行政は全く続きを書く気がなさそうなところが町の随所に現れていて、どうにも気に食いません。

東京にいるとこの辺りの事情も感覚も知り得なかったので、この二つは良い勉強になります。

所詮は刺身が泳いでますから。 

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