現在お買い物カゴには何も入っていません。
秋田の東湖八坂神社のお祭り
東湖八坂神社の例大祭に行って参りました。
JR東日本 男鹿線 天王駅から徒歩5分の場所にあり、比較的に電車でも行きやすいところにありました。
午前中は土砂降りで、午後は霧雨程度の雨が降っていたのであまり人も多くなく、駐車場は空いておりました。晴れの日にお祭りがあると満車になり、近くに駐車場の類もなく、只々住宅街の中にありますので、近隣住民の迷惑にならないようなるべく電車で行くことをお奨めします。
東湖八坂神社
延暦20年(西暦801年)の第三次蝦夷征伐の際に、征夷大将軍たる坂上田村麻呂が神恩に感謝して須佐之男命(スサノオノミコト)を祭神として祀ったことに由来し、今日まで続くここの祭事は、平安時代後期の康平4年(西暦1061年)には現在の形で執り行われていたそうです。
例大祭
新暦では7月7日に行われ、「牛乗り」「蜘蛛舞」という演目がありました。
牛乗り
男性を泥酔させ須佐之命を降ろして神格をまとった神人とし御神牛に乗り市中を練り歩きながら天王岸、現在の船越水道橋に向かう一連の行事をいうそうです。
友人曰くいつものような泥酔状態には見えないそうで「時代かな?」という話をしながら、酒部屋から神が出陣なさるのを眺めておりました。
出発点の酒部屋の神社側の道に味噌で書かれた円がありました。
牛が暴れないように、スサノオが落ちないように、袴の男達が抑えつけつつ、地域の住民がそれに付いていく形で町を練り歩きます。
私もそれに付いていきました。
勿論牛歩で、ですよ。
消防隊は牛糞を捨てるための円柱形の缶を台車に乗せて運んでいて、小学生くらいの子供たちが「うんこだ臭せぇ」と言って周囲を駆け回ってはしゃいで居るのは可愛いものです。
どこへ行っても、子供にうんこは大人気ですよ。
可愛いですw。
何事もなく目的地である橋の袂に着くと、終着点も味噌で円が書かれていましたね。
蜘蛛舞
生憎の雨で川が増水し、牛乗りのみの演武だったように思う。
本来は、川の中に乗り込んで行くそうです。
それはそうと、驚いたことが一つありました。
ご高齢の地元の人の会話に傍耳を立てていると、
「今年はあれやらないのか」
「川がこれだからねぇ」
「これも時代かね」
「だねぇ」
頭の中が?で埋め尽くされまして、???でした。
今思い起こすと、単純に怖い会話だ…。
お爺ちゃん、この茶色く塩辛い濁流の中に昔は突っ込んだんですか???
増水しまくって、今にも氾濫しそうなんですけど???
軽トラという輿
橋を渡ってこちらに向かって来る集団を見つけまして、よくよく目を凝らして見てみると、こちらの集団と対になる御神牛がやって来ているようでした。
白んでよく見えなかったので発見が遅れたんですけれども、彼の前に白い車が何台も並んでいて、これまた???が頭の中を埋め尽くしてくれました。
輿が軽トラなんてハイカラなことあるんですかw。
子供らが荷台に座り(道路交通法第56条に則り出発地を管轄する警察署長が許可貰ってるのかな?)、こちらに渡ってきました。
友人曰く、彼らと家族は一年間胡瓜を食べられないらしいです。
なんで胡瓜なんでしょうか?
胡瓜といえば、河童。河童といえば?違うかしら。
お祭りに現代の乗り物が出て来ると少し白ける感は否めませんが、言い伝えだけは守られているところは、笑えてきました。
この可笑しさは、天皇陛下の即位式や皇族と謁見する瞬間に似ていますね。
底知れぬ何か、畏れのようなもの。
こういうのは形容し難いところがあります。
好きなんですよね。
そういうの。
最後に
神事やお祭り、神社仏閣の意味合いがここ一世紀のうちに随分と変わっているのだろうと淋しく思います。
カメラが壊れるくらいの雨と波飛沫でしたので、この一枚だけ。
お祭りの屋台のことについては、次の記事で。
https://note.com/benihistudio/n/n313982f7a465
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